①【期間限定連載】D.backup-最後の意志を亡きセカイへ-

Dbackup最後の意志を亡きセカイへ_書影3月17日発売の劇場版アニメ「ガラスの花と壊す世界」の
原案ノベル「D.backup-最後の意志を亡きセカイへ-」の冒頭を発売日まで連載を行います。
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暗闇とホコリが支配する廃墟の中で、その箱はかすかな駆動音を鳴らし続けていた。
接続された22型液晶モニターだけが室内を照らし、そこに映し出されたエラーウインドウは
OKボタンが押されるのを待ち続けている。

机の上は長年積り続けたホコリと蜘蛛の巣が混ざって出来た薄白い膜に覆われ、
冷えきった英字キーボードの表面は、もう持ち主の温度を覚えてはいないだろう。

この部屋から人の気配が消えて、気が遠くなるほど永い時間が過ぎた。

孤独な機械仕掛けの箱はただ光の明滅を繰り返す。
時に穏やかに灯り、時に激しく瞬くビビッドグリーンの光輝は、
その箱の中に生きる者たちの鼓動にも似ていた。

/20160401‐jp.wbak

世界の色が反転している。

広がる空は泥の色。そびえ立つビルとアスファルトは黒一色。
街路樹はピンク色の葉を茂らせ、街中を楽しげに行き交う人々は皆白髪に青白い肌。
色彩を失わない昏さの中、人々の姿は無数の亡霊のように不気味に浮かび上がる。

それはまるで一枚のネガフィルムのような異様な世界。
時間は止まり、横断歩道を渡る群集も、高架を行く電車も、
その下を行く車列もすべてがピタリと止まって動かない。都会の喧騒は消えて無音。
ただひとつの風鳴りもしなかった。
異様の街の片隅で、黒いアスファルトの一部がぼこりと盛り上がった。

放射状のひびが奔る危うい音を立てたのち地が大きく割れて、
そこから真っ黒い影が猛烈な速度で飛び出してくる。

巨大な百足。

正確には、いくつものボルトで固定した鉄の殻と
アンテナのような触角を持つ《機械仕掛けの巨大な百足》だった。

百足はアスファルトに開けた穴から天高く舞い上がると都会のビルを
優に超える全貌を現し、今度は折り返して地上で停止している群集へと襲い掛かった。

鉄製の牙を剥きだしにして咆哮した刹那、二つの剣線が横薙ぎに払われ百足の身体を斬り裂く。
ひとつは百足の背中側から。もうひとつは腹側から放たれた。

攻撃者は二人。
背中側から斬撃を振るった女と、腹側から一刀を振るった女。

二人は上下に分断された百足の巨躯の間からお互いの姿を認め合った。
百足の姿がモニターに映し出された映像のように歪み消滅すると同時、二人は互いを互いの《敵》として認識した。

甲高い金属衝突音が鳴る。

泥色の天球に反響したそれは空中で交錯した二人が響かせあう剣の音だった。
長く柔らかな金髪と切り揃えられた艶黒の髪が揺れ、その優美さに相反する二つの凶器が剣呑な光を引いて一閃。
火花を上げて再び激しくぶつかりあった。

二人は地に降り立つまで何度も何度も剣を打ちあう。
一撃するたび周囲には衝撃波が巻き起こり異様の街を大きく震わせる。
同時に彼女たちの周囲に赤い光輝を放つホログラム・ウィンドウが無数に現れた。

【Fatal Error.】【Dead Lock.】【Fatal Error.】【Dead Lock.】

エラーメッセージは激しく明滅して二人に警告し続けた。しかし、彼女らはその警告の意味を知らない。
知ることも、識ることも出来ない。警告を識らない二人は争うことを止めない。

識らないということは彼女たちにとってないものと同義だった。

止める理由がないから止めない。争えと言われたから争い続ける。
終了命令が下るまで、その争いは未来永劫、永遠に終わることがない。

小さな唇が薄く開き、何か言葉を紡いだ。
一人の少女がいた。泥の空を見渡すビルの上で、二人の終わらない戦いを見つめ続けている。

その口が紡いだ小さな願いごとは、鳴り止まぬ剣戟の音にかき消されていった。

〝箱〟は名を《ИОАНН》と言う。

私はこの五文字の意味はおろか読み方すらも知らない。
知る必要もない。

このИОАННという名称を見て即座にその意味・読みについて
思考するプロセスを起動するのは人間くらいのものだろう。私たちはその音読不能な5文字を記号として記録していれば良い。

このИОАННは今現在、ハードウェア面ソフトウェア面共に深刻な問題を抱えている。

世界最大のシェアを誇る汎用OS《MIRROR》のバージョンは相当に古く、
製造元によるサポートはとうの昔に終了している。

OS付属のセキュリティ機能も現在のサイバー空間においては丸裸も同然、
外部からの不正アクセスを簡単に許してしまう有様だ。

実際この箱には一日平均して数百件以上のアクセスがあり、
その大半はウイルスを始めとするマルウェア─悪意のあるソフトウェア─の不正侵入であった。

搭載ソフトウェアやハードウェアも長い間バージョンアップがなされておらず、数多くの脆弱性を抱えている。

ウイルスは脆弱性を侵入経路、または寄生、潜伏先として利用する。
生物の傷口から細菌が容易に入り込めるのと同じだ。
すなわち現在のИОАННは、病原体からすれば恰好の寄生対象、破壊対象と言えるのだ。

昔であれば侵入経路を断つなどして脅威の侵入を防ぐことも出来ただろう。
しかし、この時代は懇切丁寧だ。地球上どこにいたとしても、箱とサイバー空間は
磁石のように引き合って勝手に接続されてしまう。それもまったく意図しない領域に、アトランダムに。

混沌としたサイバー空間。無防備なセキュリティ体制。

ИОАННの置かれた状況ははっきり言って最悪であった。
いつ如何なる脅威によって破壊されてもおかしくはない。
毎日、今日が最後の稼働日だという心づもりをするのが賢明と言えた。
それでも。

私という存在がここにいる限り、この箱を破壊されるなどということは絶対にあってはならない。
赤の瞳が映す視界の端には、常にそのロゴマークが表示されている。

【SPICA Total Security Agent】

略称スピカ。
米国Regina Industry Software社2020年製アンチウイルス。バージョン2・04。

この箱に巣食う脅威を検出し駆除することが、私に与えられた役目。

私は、ソフトウェアである。

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