⑦【期間限定連載】D.backup-最後の意志を亡きセカイへ-

Dbackup最後の意志を亡きセカイへ_書影
一般保存領域F区画。ここには妙なデータファイルが複数存在する。
 ドーム状の白の空間に駆け入った私は、宙に浮くそれらを見上げた。
部屋の中央を基点にしてゆっくりと周回するいくつかのホログラム・ウィンドウ。

左肩につけられたタグにはいずれも《20011008‐jp・wbak》
《19760401‐uk・wbak》などの文字列が表示されている。
 そしてそれらウィンドウの中には、この箱の中とはまったく異なる景色が映し出されていた。

 空の青。
 水の青、森や山の緑。
 街、車。そして─人間たち。

(よりによって、ここか)

 少女の動作ログを辿っていった先にこの部屋があった。部屋内に姿がないところを見ると、
恐らく少女はいずれかのデータファイル内に姿を消したのだと推測される。

 《19890217‐dd・wbak》と記されたデータファイルの表面に、
水面に波紋を打ったようなエフェクトが浮かんでいた。

「…………」

 気の進まなさを感じる。
しかし、だからと言ってようやく見つけたそいつを見失うわけにもいかない。
私は当該のホログラム・ウィンドウを目の前に引き寄せると、その中に映る景色に静かに手を差し入れた。

 波紋が大きく広がる。
 世界が光を放ち、私の視界を奪う。

/19890217‐dd・wbak

 髪が風に揺れる感覚を覚えながらゆっくりと目を開いた。
再起動した視界に、新たな景色がゆっくりと広がっていく。

 天井が無い。
代わりに広大な黒の空間が頭上を支配している。

 この果てなく遠く広がる空間は、《空》と言うものらしい。
空は時刻によってその色を変える。今は黒だから、夜だ。
垂れ込める黒い《雲》を、白のサーチライトが明るみにしている。
《天気》は《曇り》らしい。

 風にふかれながら空を見上げていた私は、視線をゆっくりと地に降ろした。
空の姿は時刻と天候条件をかけあわせた数十パターンしかないが、
その下に広がる景色はwbakデータごとに大きく異なっている。

 今日は《街》。
照度の低い街灯が塗装の剥げた建物を照らす、静かな夜の街中だった。

 目の前に延びる通りはそれこそ廃墟のように静まりかえっていたが、
その向こうに横たわる大通りにはいくつかの《車》に交ざって、
ちらほらと《彼ら》の姿が見える。

 人間。
正確にはデータ上に再現された、仮想の人間たち。

 ─私の中の雑音が一瞬、プツ、と小さな波を打った。

 耳に手を当て、再び少女の動作ログを辿った。
少女の残した足跡は、私が背にしていた巨大な壁沿いの通りに続いている。

 大通りの方から仮想の人間たちの笑い声が聞こえてくる。
プツ、プツと雑音が何か言う。

(……さっさと済ませよう)

 ドレスを翻し、足早に歩き出して追跡を開始した。
 そびえ立つ高い壁に沿うその道には、幸いなことに、人間の気配がまったくなかった。

 ここはいわゆる《仮想世界》と呼ばれるものなのだろう。
3Dグラフィックで自然物・人工物などあらゆる物質の姿形を模写し、
演算処理であらゆる自然現象を模倣することで、
箱の中に《箱の外の世界》を再現したもの。それが仮想世界。

 人間たちは仮想世界を、現実世界で起こりうる事象を
シミュレーションするための実験場として活用したり、
その中に自身の身代わりを置いて、その世界でもう一つの生活を
楽しむために利用していたと聞く。

この仮想世界もそういった用途で構築されたものなのだろうが、
正規のソフトウェアが持つべき証明書が付属されていないため詳細は不明だ。
いつもながら思うのは、日付、国別に細かく分けられたデータファイルが周回する
一般保存領域F区画の内部は、まるで開発途中で放置された作りかけの
プロジェクトフォルダ内のようだ、ということ。存外、その通りだったりするのかもしれない。

 この仮想世界の内部もまた、箱の中の世界と同じく脆弱性に満ちていた。

 3Dグラフィックの壁を辿って歩き続けていると、
十秒に一度の割合でグラフィックに欠損を認める。
映像には穴が穿たれ、その中では目に痛い高コントラストの
白黒ノイズがさざめき血のように垂れ流されている。

 これら脆弱性は私のようなアンチウイルスにしか視認出来ない。
この世界の住人たちはこの異様な景色を認識することはなく、
けれど脆弱性は確実に脅威を呼び込む危険因子となる。

ゆえにこの世界もまた私の走査対象領域のひとつであった。
箱内の保存領域と併せ、定期的にスキャニングを行うようにしている。

 ─その義務でもなければ、決して訪れたくはない場所であった。

 歩き続ける私のドレスの裾を何者かが引っ張る気配がした。
立ち止まり振り返ると、そこには仮想の人間がいた。

 小さな身体。いわゆる子供。推定8〜10歳。西洋人。男。

 瞬時にそう解析すると、少年は裾を掴んだまま私を見上げ、
酷く不安げな表情をして首を横に振った。
『ダメだ』と言っているかのようだった。

 雑音が音量を上げる。
 耳鳴りのような音と共に何か喚く。
 視野が、大きく揺らいだ。

(っ……!)

 私はその手を強く振り払い逃げ出すように走り出した。
少年が私の背に向かって何か叫んでいたが、
それも内部でうるさく喚く雑音に遮られ聞こえなくなっていく。

 ……だからこの世界には来たくなかったのだ。

 この仮想世界の人間たちはアンチウイルスである私を『同じ仮想の人間』として認識する。
通常の仮想世界において私のようなソフトウェアは、
いわば目に見えない《概念》として在るだけだ。
しかし、この世界は私を概念にはカテゴライズしなかった。

 この世界は私を人間にする。仮想の人間たちは私を視認し、
私のことを『自分たちと同じ人間』と認識し、対話しようとし、
触れることさえ出来る。

 仮想の人間の内部でどのような処理が働いているのか知らないが、
たとえこれが開発者の意図した正規の仕様だと説明されても、私はきっと納得しないだろう。

 これは紛れもない不具合だ。

 このバグに触れると私の内部に巣食うバグも増幅されてしまう。
あの少年の姿を見た時、私の内部ではありとあらゆるバグが発生していた。

 バグの名は、不快。
 あるいは悲壮。あるいは焦燥。あるいは忌避。あるいは─恐怖。

「……うるさい……」

 走りながら、また柄にもなく独り言ちた。
 雑音がうるさい。激しい波を打ち、甲高く喚くハウリング音。
 私の中のあらゆる感情。

(早く駆除しなければ)

 これらバグを。
 私にこのバグを与えた、その害悪を。

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