⑧【期間限定連載】D.backup-最後の意志を亡きセカイへ-

Dbackup最後の意志を亡きセカイへ_書影
鼻先に光の粒子が触れた。
反射的に立ち止まり一歩退くが、ゆっくりと地に落ちたそれは種子ではなかった。

見てくれは確かに良く似ていたが、考えて見れば
この場所にM12・rEEd・Bの反応は無い。
……では、これは何だ?

またひとつ粒子が舞い降りてきた。またひとつ。ふわり、ふわりと。

黒の空から白の粒子が舞い降りてくる。私はそっと手のひらを差し出し、
降りてきた一粒を手のひらにのせた。粒子はその重さを感じさせることなく、
静かに融解して水となる。

それは、《雨》によく似た現象だと思った。
しかし、雨は空から水滴が降り注ぐという現象であったはずだ。
こんな不規則な軌道を描く粒子が舞い落ちてくるようなものではない。

手のひらから視線を外すと、周囲はすっかり舞い落ちる粒子だらけになっていた。
見上げた空からは止めどなく白の輝きが降り注いでいる。

気が付くと、内部の雑音が静まっていた。
私の唇が無意識に薄く開く。

何を呟こうというのか、私自身にもわからせないまま、
溢れくる《何か》を勝手に声にしようとしていた。
あの大樹の前で、降りくる粒子を見上げて何か呟いていたシンジュのように。
首を強く振って視線を落とした。声がしたのはその時だった。

「ゆき!」

弾かれたように顔を上げる。飛び跳ねるような笑い声が、
延々と続くコンクリート壁の上から聞こえた。

「ゆき! ゆきー!」

両手をいっぱいに広げ、狭い足場の上でくるくるとまわる少女。
少女は舞い落ちる粒子に呼びかけるように『ユキ』という言葉を繰り返し、
仮想の空に笑い声を響かせた。

柔らかなスカートは少女の動きを追いかけて真円を描き、
その身体は髪の一本から爪先に至るまで、夜の黒を背景にして仄かに発光する。

私はその姿を無意識に見つめ続けていた。
大樹の前で少女の姿を見ていた時と同じだ。

唇がもう一度、音を紡ごうとして薄く開く。溢れた言葉は少女と同音。
まるで少女の言葉をなぞるようにして発音された。

「「きれい」」

目を見開く。自らが発した言葉に自ら驚き、口元を押さえる。

推測が確信に変わりゆく。
やはり、こいつか!

「動くな!」

円を描くスカートがふわりと落ちる。少女の透き通った
二つの瞳が不思議そうにこちらを見つめ返してきた。

その瞳に見つめられて発生したバグは息の詰まるような緊張感と、
それでいてどこか静謐な心地。拳を握って抑え込み、
ソフトウェア然とした厳格な声を響かせた。

「私はこの箱を保護保全するアンチウイルス《SPICA Total Security Agent》だ。
お前には対アンチウイルス用マルウェアの疑いがかかっている。
そこから降りてソフトウェア名と開発元、ソフトウェア種別と用途及びバージョンを提示しろ」

「……?」

白く細い首を傾けるその仕草は、箱の片隅に咲いていたM12・rEEd・Bの花を髣髴させた。
声音に忌々しさが混じる。

「聞こえなかったのか。こちらの要求に従わないと言うのなら、それ相応の措置を─!」

「あっ」

少女は壁の上から飛び降りた。
それはスローモーションを起こしたような映像だった。
少女は白の粒子と共に軽やかに、緩やかに地へと降り立った。

そして思わずこちらが退ってしまうほど躊躇いのない
足取りで目の前へやってくると、私を見て悲しげに眉を下げた。

「けが、してるの……?」

白い指先がゆっくりと胸に負った裂傷のほうへ伸びてくる。
数秒、反応が遅れたが。

「っ!!」

髪の中に手を差し入れ、少女の喉もとにキセルの先端をつきつけた。
探し求めていた害悪を前に息を詰める私。
私のことを案ずるように見つめ、小さな手を空で彷徨わせる害悪。

やめろ。そんな顔で私を見るな。
不愉快だ。

「……私のメインプログラムコードに、いつからか不正な文字列が寄生していた。
《Remo****》という書き出しから始まる一連のコード群だ。
その文字列は、お前から検出されたソフトウェア名称と一致している。
これはどういうことか、説明してもらおうか」

自らの内部にその不正な文字列を見つけた頃から私は狂い始めた。
あるはずもない感情を内包し、身の内に響く雑音を聞くようになった。
加えて先ほど私は、この少女と同じ言葉を発音させられた。

寄生対象との行動同期。もはやこの少女が私に対し、
何らかのデータ書き換えを行ったことは疑いようもない。

けれどその細い喉を即座に貫かず話を聞こうと思えたのは、
この身に巣食う怒りへのささやかな抵抗であった。
私が極めて理知的なソフトウェアであるということを、自覚するための。

しかし少女は私の抵抗を、あっさりと無駄なものへ変える。
少女は花咲くように顔を綻ばせて言った。

「すごい、すごいすごいすごい! どうして《リモ》のなまえ、わかったの? 
リモ、まだ『じこしょうかい』してないのに!」

瞳を輝かせ、わあわあ言いながら私の方へ身を乗り出してくる。

「リモはね、リモっていうの! いまはね、このかべのちかくにある『きれいなもの』をさがしてて。
そしたら『ゆき』がふってきてね。それで、それで、うれしくなって、たのしくなって、
きれい、きれいって、いってたの。ほら、あなたもみて!」

少女は空から降りくるユキを指さした。
硝子玉の瞳に白い粒子を反射させ、その表情をうっとりと緩ませる。

「とっても、きれい─」
「黙れ」

少女はまた首を傾げる。対する私は、もうバグまみれになっていた。

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