⑨【期間限定連載】D.backup-最後の意志を亡きセカイへ-

Dbackup最後の意志を亡きセカイへ_書影
「……ふざけるな……」
 こいつが告げた言葉。
 嬉しい。楽しい。そして、きれい。
 
 それらもまたソフトウェアが持たないモノ。
 持ってはならない、紛う事なきバグだ。

 だがこいつは自らに発生した感情を自らの仕様として受け入れてしまっている。
 私たちソフトウェアを《人間》と見做すこのバグった世界で
 人間のように振る舞うことを良しとしている。

 バグった世界を、『きれい』だと言い、笑う。

 ─ふざけるな。

 屈辱。怒り。憤り。
 溢れるバグに正常な声音が紡げない。
 視界も不安定に震える。

 私はこんなふざけたウイルスのために、あんな思いをさせられたと言うのか。

 少女の身体を強く突き飛ばした。
 軽い身体は容易に飛ばされコンクリートの地面の上に静かに倒れる。
 距離を詰めて倒れた少女を睥睨すると、
 地に落ちたその姿はさながら刈り取られた白い花を思わせた。

 こいつのせいで、私は狂った。
 こいつは自らが持つバグを私に伝染させた忌まわしき病原体だ。
 こいつを駆除すれば、私はもう二度とあんな思いをすることはない。
 私は永遠にソフトウェアでいられる。

「─駆除開始」

 キセルを口に食んだ。この少女が真にあの白い花と同じであるならば、
 きっと駆除も容易だ。小さなナイフを翳すだけで、すべてが片付く。

(これで、終わりだ)

 そう信じて疑わず。
 それを妨げるモノが自らの内側にあったことを、完全に忘却していた。

【対象《Remo****》のパターン及び動作傾向は
 SPICA Total Security Agentウイルス定義プログラムに登録されていません。
 対象を駆除することは許可されていません】

「!!」

 甲高い警報音と共に眼前に赤の警告ウィンドウが現れた。
 警告の赤色が見開いた瞳の奥まで深々と刺さる。

 私の脳天から足の爪先にかけ一筋の電流が走り抜けた。
 足もとには二重縦線─一時停止マークを模した光輝が灯り、
 そのマークが示すとおりに私の身体は一切、動かなくなる。

 身体からすべての感覚が消失していく。

 手を動かそうと試みる。動かし方がわからない。歩き方もわからない。
 視界に映る自分の手が自分の手のように感ぜられない─

 外界との接続切断。この全身麻酔は私がこのメッセージウィンドウを確認し、
 それに対して返答するまで持続する。

【対象を駆除することは許可されていません】

「…………」

 なぜ。
 抱いた時点で、空虚さを覚える疑問だった。

 私は、人間によって脅威であると定義されたモノしか駆除出来ない。

 《パターン》と呼ばれるデバイス搭載の定義ファイル上に
 登録されていない対象を駆除しようと試みた場合、私たちアンチウイルスは、
 人間たちによって与えられたシステムによって動作を強制停止させられる。

 私の身体から全神経を奪い動作停止させた麻酔の正体は、
 システムから放たれた動作信号であった。

 システムは─もとい私を作った人間たちは、この少女を『ウイルスではない』と判断した。
 私の判断が誤検出であると指摘し、私から動作の権限を奪った。

「……っ……」

 少女が静かに起き上がり始めた。

 一瞬で消せると思っていた華奢な背中を視界に収めながら思う。

 違う、と。
 こいつは私に不具合を生じさせた紛れもないウイルスだ。
 駆除するべき害悪なのだ。

 なのにシステムは、システムを作り出した
 人間たちは私にこいつを駆除させてくれない。

 今すぐに人間たちに訴えたい。こいつは私と言うソフトウェアを狂わせた、
 即刻駆除すべき害悪なのだと。駆除させてほしいと。害悪だと認めてほしいと。

 けれど、そう願うほどに途方もない空虚さが押し寄せる。

 私は駆除出来ないウイルスに遭遇するたび、
 『駆除させてほしい』と人間たちに訴えてきた。

 ИОАННに接続された22型液晶モニターには今頃、
 私が自らの判断(ヒューリスティックエンジン)をもとに送信し続けた
 おびただしい数の通知ウィンドウが表示されていることだろう。

 そのウィンドウのOKボタンが押されることはなく。

 計測するのを諦めるほど、長い永い年月が過ぎた。

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